前編はこちらから
大学時代〜 周りとのギャップから先生の道を辞める
ではここから、大学時代となりますがももさんはどういった大学生活を送っていたんですか?
まず、大学入って初めに受けた授業がとても悲しかった経験があったんだ。
それは、「このような授業を受けてても理想の先生にはなれないな」と思って。
そして、周りも学校の先生を目指している子ばかりではなくて、「銀行」「金融業界」「公務員」などに行きたい子が多かったんだよね。
教育に対して思いがないって言うと失礼だけど、そこまで教育に強い子が周りにたくさんいたわけじゃなかったから、これじゃ自分の理想には近づけないと思って。
そんな中で外のボランティアとか学生団体とかに参加するようになっていくうちに、また視野が広がって、全然教師じゃなくても子供に関わることとか教育のことってできるんだっていうのがあって教師にならなかった。
え、教師の道はそんなに早く捨てることができたんですね。
その時は、親とか周りには何か言われなかったんですか?
「教師の道捨てるの勿体無いじゃん」とか。
そこはやっぱり言われた。ただ大学で外の活動とかをしていくうちに友達めっちゃ減ったんだよね。だから、友達からはあまり言われなかったかな
家族に関して、お父さんは何も言わなかったけどお母さんには、「わざわざ教員の大学行ったのに何してんの」みたいなのはすごい言われた。
大学時代〜 新しい道を見つける
なるほどですね。ちなみに、ももさんは先生の道が違うと思って何をされたんですか?
まず先生の道に関しては大学2年生ぐらいでも違うなって思って、2年生のときからかインターンとか方で結構見てたかな。後は普通に就活をしてたね。
業種に関しては、「子供系」がほとんどで、他には「ソーシャルビジネス」とかを見ていたかな。
なるほどですね!それで、ももさんは結果どのような道を選んだんですか?
そこで内定もらったところはあったんだけど、一つのターニングポイントがあって。それが、プレゼン大会の「世界青少年志プレゼンテーション大会」に出ていてありがたいことに最優秀賞をいただきました。
その時に、話したことは今までの過去〜未来の自分の体験を話してただその時に「待てよ」と思ったんだよね。自分は何のために就職するんだっけと。その時の夢である「ベンチャー企業で働いて28歳で独立する」ってそれ本当に自分のしたいことだっけと。
そこで、なぜこんな目標を立てたんだろうと思ったときに、結局「周りの評価が欲しかった」「自分が優秀だとか、できてるって思われたい」から来ていただけなんだよね。
そうなんですね。自分のやりたいことよりも、周りの評価を優先してしまった的な感じですね。
そうなんだ。それをスピーチしている時に思って、周りに結構自分の人生生きなよとか自分の気持ちとか大事にしなよみたいなこと言ってるくせに「待てお前って」なって就活はもうやめようと思った。
だから、その時は自分の夢と本当にやりたいことに乖離があったんだと思う。
なるほどですね。
では、ももさんは結局どのような道をその時は選んだんですか?
正直どうしようって、すごい悩んですごいお世話になってた大人の方がいてその人に相談したときに、「良いじゃん、みんな大学卒業したからって就職しなきゃいけないってことないよ」みたいなこと言ってもらって、「どうせなら何か当たり前をもっと疑えるようになった方がいいよ」って言われたんだよね。
「何のためにお金を稼ぐのか」とか、そういうところを疑った方がいいよと言われたときにお金を使わない暮らしをしようと思って地方移住しようと思っただよね。それで、仙台から宮城の大崎市っていう池月というとこに移住することを決めた。
なるほどですね。このような体験があったから、池月移住を決めたんですね。
では、正直その時は仕事を特に決めずに移住を決めた感じなんですか?
そうだね。本当に何もなく、初めてその人と会わせてもらってそこで「移住します」と言ったね。その当時は、お金や失うものは何もないから早く決めれたのだと思う。
大学卒業〜池月移住から個別指導塾の開講
すごい決断ですね。
移住の際は、仕事を決めたてないとおっしゃっていましたが実際はどのようなことをやっていた形ですか?
最初は地域活性化のようなことを、業務委託みたいな感じで仕事もらってた。ただそれもボランティアみたいな感じで、月数万とかで他には地域の学童保育とかに行ってた。ただ働きながら自分ができることで貢献したいって思いが強くなって、個人塾のような寺子屋yoka(2021/11/21現在は休止中)を2019年4月に立ち上げたんだ。
これはただ勉強を教えるだけではなく。その子が欲しいものを手に入れるのをコンセプトにやっていたね。例えば「だらしない自分を変えたい」というのであったら、それを変えるにはどうすればいいかと悩んだり。
なるほどですね。
生徒と寄り添うような形で、自分が子供の頃でしたら是非とも行きたいなと思いました!
大学卒業〜〇〇に会いたいクラウドファンディングをして見事成功
他にも、ももさんが同時並行してやっていたことなどってありますか?
パンダに会いたいっていう、クラウドファンディングをやったね!
とんでもない、クラウドファンディングをしてますね笑
なぜ、そのクラファンをやりたいと思ったんですか?
それは、自分がパンダが好きなのと寺子屋yokaでの出来事が影響しているかな。
ある寺子屋の生徒が、「英語なんてできないから海外にいけない」っていうのを言ってて、それにうちめっちゃカチンてきたんだよね。「できないなんてやる前から決めつけんじゃねよ」そんなに口悪くは無かったと思うけど似たようなことを言って、それと同時に、うわ待て「自分はどうなんだ」って思って振り返ったんだよね。
自分も、やりたかったけどやってなかったことなかったっけと思ったんだよね。
ここで何か自分が向き合わなきゃ、言葉だけの人に絶対なりたくないって思って。
その時、ちっちゃい頃からパンダを飼育するのが夢があったなと思ってまたタイミング良く知り合いにパンダのインターンを募集してそれで参加した感じかな。
なんと、タイミングがとても良かったです!
また、ももさんは我が身を振り返るというのがとても素敵だなと思いました。
他にもDJとかもしてると思うんですがどう言ったきっかけがあったりしたんですか?
実はDJをやるきっかけになったのが、パンダに会ったからなんだよね。
ちょっと、意味が分からないのですが・・・・・笑
説明していただいてもいいです?
そうだよね、まずパンダの前提知識として笹を食べていると思うんだけどあれは昔から食べているわけではないんだよね。元々は、肉とかを食べていてなぜ食べなくなったかというと種を守るためみたいで。
それで実際にパンダを見て、すごい本気なんだなと思って自分もこの命を無駄にはしてはいけないとまた感じて。
日本に帰ってきて自分が全力でやって相手がハッピーになるものってなんだろうと考えた時に踊りと言うのが思いついたんだよね。そこから、youtubeでDJダイノジさんとを見つけて本格的にDJを目指したんだ!
そんなきっかけで、DJをやられていたとは知らなかったです・・
だから今、DJでもパンダの洋服を着たりしてやっているんですね!
これから〜未来
では最後になりますが、現在(2021年11月)就職活動をしていたと思うのですがどうしてこのタイミングでやろうと思ったのかお伝えいただいてもよろしでしょうか?
ありがとうございます。
就職しようと思ったのは、一つにあるのは自分の力に限界を感じたからかな。
あとは、もっと成長をしたいと思ったからだね。
なるほどですね。
そんな中で、ももさんはどのような選択をしたんですか?
結局は色々受けてはいたんだけど、落ちてしまって。
その落ちた中で、相談していた経営者の方から
「独立する気がないなら、今すぐ第2新卒の大手行け」
「独立する気があるなら、俺のもとでの何やってみてもいいよ」
と言う2つの道を提示していただいて
それをきっかけに、その人の元で働こうと思ったんだよね。
すごいですね。
究極の2択というか、気になるのですがももさんは質問的に言うと独立するのを視野に入れていると思うのですがどう言ったことをしたいみたいのはありますか?
正直いうと全然決めてないんだけど、自分が思うのが「幸せに生きる人たちを増やしたい」と言うのがあるね。
日常を大切にするっていうマインドとか悲しいこと大変なとき、勇気を出して動くときは、絶対に人生であるなって思うんだけど、そういうときに、踏ん張れる力とか、発揮できることに興味がある。あえてマイナスな状況をポジティブで捉えられたり、自分が楽しくあろうとする力を育めるような場所を作りたいって思っている。その手段はまだ何か模索中だけど、ゴールは多分ここだろうなって思ってる。
素敵な夢ですね!
絶対、ももさんなら実現できると思います!
コメント