人とのギャップに苦しみながら生きる 角田 Vol.18

インタビュー

現在は、フリーランスのライターとして活躍している角田さん。
過去には、個人でクラウドファンディングを達成したりnoteで10万円以上稼いだ経験もあります。
ただ、角田さん個人のnoteを拝見すると中々ハードな人生を送っているなと思いました。

そこで、角田さんに今回は
「なぜフリーランスのブロガーとして働こうと思ったのか?」
「子供の頃はどのような環境で育ったのか?」
「これから10年後にやりたいことは何か?」
など角田さんの過去に焦点を当てて今までどのように生きてきたかについて語っていただきました。

りょう
りょう

角田さん、本日はよろしくお願いいたします!

早速ですが、自己紹介の程お願いいたします。

つのだ
つのだ

はい。お願いします。

現在は、フリーランスのライターをしています。元々は、介護の事業所に新卒で勤めていました。ライターになったきっかけは、家の介護と仕事の介護の両方が重なり自分が過労で倒れたのをきっかけにライターを始めました。

りょう
りょう

なるほどですね。

偶然から生まれたということで、これから角田さんの過去について伺いたいと思います。

幼少時代 明るく元気でヤンチャものだったが小学校をきっかけに・・・

りょう
りょう

角田さんの幼少時代ですが、どのような子供だったんですか?

つのだ
つのだ

とにかく、人見知りしないで元気でおしゃべりだった記憶がありました笑。

やんちゃなエピソードがあって、幼稚園でお泊まり会の時に先生の目を盗んで夜中の3時ごろまで友達のN君とずっと喋っていたというのがあります。

あとは、校長先生が子供を怖がらせるために先生が変装して出てきたんですが、先生が変装していると分かったので喋っている途中に変装を剥ぎ取ったりもしていました。

つのださんのイメージ画像
りょう
りょう

中々のヤンチャなエピソードですね笑

現在ライターをされているとのことで、その頃から書くのが好きとかはあったんですか?

つのだ
つのだ

全くないと思います。

書くとかよりも、外で虫を捕まえて遊んでいるとかアスレチックを走るとかそっちのが得意だったと感じてます。

りょう
りょう

なるほど!

では、このヤンチャな少年は小学校でも同じようにやんちゃな感じでいたんですか?

つのだ
つのだ

いや、小学校入った初日から大人しくなりました

理由としては、少し大きくなったというのと今まで会ったことない子たちと沢山あったから社会性を身につけたのがあると思います。

あとは、親からも小学校だとちゃんと話を聞くんだよと言われていたのも大きかったです。

だから、小学校の3年ぐらいからは勉強とかの道にシフトし感じだと思います。

りょう
りょう

凄い変わりようですね。

勉強の道に進められてということは、学校の成績とかも良かった感じですか?

つのだ
つのだ

小学生の時は、学校の成績は良かったとは思います。

実際に、勉強にはかなりハマっていました。

きっかけとしては、剣道をやっていて人体を切った時に、2ヶ月ぐらい教室に1人でいました。外で遊べないから本を読み始めて、そこから多分より一層何か多分内省とか内に入っていく感じになりました。

父親の死 転換期が訪れた中学・高校

りょう
りょう

勉強にハマる、良いですね!

では、それからの中学時代も勉強にハマって突き進んだ感じですか?

つのだ
つのだ

勉強ではなく、人が喜ぶとか楽しませるとか場の空気を考える方にシフトチェンジしました。

理由としては、考えることに疲れてしまってこのままだと人と話せなくなることを自覚したからです。実際に、小学生時代は考えすぎて頭の中に自分が2人か3人ぐらいいた感じだったと思います。

りょう
りょう

なるほど・・・・

変わった原因としては、中学校で周りの人が変わったからが大きかったんですか?

つのだ
つのだ

人が変わったのも大きいし、自分を内省しすぎて自分への興味から人に興味が行き始めたタイミングだったと思います。

今思うと、小学生と中学生の自分を褒めてあげたいと感じます笑

りょう
りょう

中学生とはとても思えないです笑

人に興味を持ったのは分かったのですが、中学校ではどの様なことをされていたんですか?

つのだ
つのだ

中学校では、部活とおばあちゃんの介護の両方をしていた感じでした。

その時ぐらいから、若干精神的に斜に構える様になっていったと思います。それは、介護のことは周りに話すことができないというのもあったのがきっかけです。

実際に、学校と家のギャップに苦しんで胃腸炎に2回ぐらいなったと思います。

また、中学3年生の卒業式に父親が亡くなってかなりきつかったと今だと感じます。

つのだ
つのだ

これがある意味、自立しようと考えた転換期になったのかもしれないと思います。

理由としては、父親が亡くなった時の親の様子を見て親も一人の人間なんだなと思う機会がとても大きかったです。

そのタイミングで、無理して自分の本来の人格とは違う感じでしっかりとしていったのが高校時代だったと思います。

りょう
りょう

ここまでの話を聞くと、かなり高校もキツそうだなと思ったのですが実際はどうでしたか?

つのだ
つのだ

そうだと思います。おばあちゃんの介護とお父さんがいないので、「文化祭楽しい!」というテンションにはなれなかったと感じます。

確か、この辺りで自分の頭で考えるのを辞めて「そつなく真ん中を歩こう」としていたと意識してたと思います。

学校選びも偏差値が真ん中で、無難な公務員で人生歩んでいこうというテンションになっていました。その理由は、自分が安定をしていなかったのが大きいと思います。

りょう
りょう

なるほど、今の角田さんを知っている自分からすると現在とのギャップもすごいですね。

ちなみに、高校は部活とかはされていたんですか?

つのだ
つのだ

部活は、陸上部をやっていました。

中学では、野球をやっていましたがチームプレイがことごとく合わないのが分かったから個人種目である陸上部を選びました。

今だったら、野球もできると思うけどあの頃を考えると人に対して要求するというコミュニケーションが苦手なんだったと思います。

りょう
りょう

それは「何かしてください」みたいな感じの要求ということですか?

つのだ
つのだ

小学生の頃から、相手に何々をして欲しいというのが苦手であったと思います。それは、相手を根本的に信用していないというのがあって相手に頼むより自分がやったほうがいいと考えていました。

ただ高校ぐらいから、人に対して何かを思うというのは無くなったと思います。「みんなは元気そう、そして世界は平和だ」って感じで悟りを開く感じで穏やかになってきました。

まるで仏だ!

大学受験で初めての挫折そして就活へ

りょう
りょう

ついに悟りまで開いたんですね笑

高校の後は、大学には進んだんですか?

つのだ
つのだ

大学には進みました。

ただ、大学受験で初めて挫折をしたかもしれないです。

今まで、受験で落ちたこと無かったけど初めて失敗してしかも併願を一個しか受けてないからその大学に行った感じです。

ただその時、落ちた大学は推薦でいけたのになぜか受験で受けると言ってました。謎の、ファイティングスピリットがあったのかもしれないです笑

りょう
りょう

大分謎なことをしてますね笑

大学では、現在ライターをやっているのもあるので文学部とかを選んだんですか?

つのだ
つのだ

法学部に行きました。理由としては、潰しが効くとその時は感じてます。

ただ、勉強が面白くなくて向いてなかったなとは思います。

りょう
りょう

なるほど、結構そういう人が多いイメージです。

大学ではサークルなどはしましたか?

つのだ
つのだ

サークルは、「放送部」「軽音楽部」に入ってました。

この2つに入ったのは、人と話すのが苦手だったのと、赤面症で人前で発表するのが苦手だったからです。放送部では、ラジオドラマや映像作品を撮ったりしたりしました。軽音楽部では、歌を歌うボーカルをしてました。このぐらいの時から、かなりストイックになったと思います。

りょう
りょう

なるほど、何かストイックになったきっかけとかはあったんですか?

つのだ
つのだ

恐らく、父親が亡くなっておばちゃんの介護の状況がきてどう考えてもプラスになれないことから心理学の勉強をして前向きに考えるようになったのが大きいと思います。

またその勉強を陸上部で活かし始めたら、最後の大会で大会自己ベストを出して成功体験を得たので更に前向きになれました。泥臭く生きて、一個一個確実にやっていた方が向いてると気づいてストイックになったのかもしれないです。

介護職で過労で倒れライターへ

りょう
りょう

この後は、就活の時期だと思うのですが角田さんはライターなのでそれに近い職種を選ばれたんですか?

つのだ
つのだ

就活では、介護を選びました。選んだ理由は、自分の可能性とかも信じることが出来なくて出来る事で選ぼうと思いました。そこで、自分の中で一番身近だった介護をやりました。

りょう
りょう

なるほど、かなり今のイメージとは違いますね。。

実際やってみてどうだったんですか?

つのだ
つのだ

仕事は、コミュニケーションがとても大変でした。一人でやるのは楽だけど、チームプレイが苦手でそこを学んだと思います。

ただ、仕事を始めて1年後に過労で倒れたからすごいしんどかったです。

りょう
りょう

そんな時代もあったんですね。。。

そこから、どのようにライターになったんですか?

つのだ
つのだ

過労で倒れたことをきっかけに、自分を大事にした方がいいと思いました。

そのタイミングで自分に合った働き方を追求した結果、フリーランスのライターになったという感じです。

ただ、自分がフリーランスになったときはまだ市民権を得ていない状態だったからすごい怖かったのを覚えています。

りょう
りょう

そうですよね。

最近こそ、フリーランスの市民権を得られたと思うのですがその時代だと・・・

最初はどのように仕事を獲得されたんですか?

つのだ
つのだ

まずは、純粋に求人に応募したりしました。その中で、納期を守って仕事をして取引を続けていたら自然と生活できるぐらいのお金は稼げるようになりました。

また、のびのび仕事をやっている方が自分が効率を出せるだったのも大きかったと思います。家に籠って、ずっと仕事をやっていても平気だったのでフリーランというのが合っていました。

フリーランス2年目の衝撃的なエピソード

りょう
りょう

適職みたいな感じですね。

フリーランスは順調にそこからはうまくいったんですか?

つのだ
つのだ

仕事としては上手くいっていたけど、フリーランス3年目ぐらいでかなりのやらかしは合った。

腱鞘炎になって、手に親戚のおじさんが使ってた湿布を貼ったんだけどそれが直射日光にあたってはいけないもので合ったみたいで。それを貼ったまま、半袖で1日歩いたら腕が丸太みたいに腫れてしまって。

病院に行ったところ、3ヶ月ぐらい日光にあたってはダメと言われて部屋の隅にずっといた。

貼る湿布については気をつけましょう!
りょう
りょう

3ヶ月日光にあたってはいけないって、かなりきついですね。

その生活は耐えられたんですか?

つのだ
つのだ

全然大丈夫でした(笑)

スマホのクソゲーみたいのを全部クリアーして、この時間本当に楽しいって感じです。でも、流石に大丈夫かなと思って精神科に行ったら「全然平気なのがおかしいけど大丈夫です」って言われました。

大体の人は、陽の光に当たらないと疲れたりおかしくなっちゃうみたいだけど大丈夫でした。

りょう
りょう

このエピソードを聞くと、ますますフリーランスが合っているんだなと思いました。

過去1刺激を受けたきっかけは「〇〇〇サロン」

りょう
りょう

このあと、自分と合った西野亮廣エンタメ研究所に入ると思うんですけどどのようなきっかけで入ったんですか?

https://book.asahi.com/article/11977368https://book.asahi.com/article/11977368

西野亮廣エンタメ研究所は、西野が考えるエンタメの未来や、現在手がけているプロジェクトを、まだ公開できない構想の段階から共有する、会員制オンラインサロンです。西野亮廣が、エンタメを作っていく過程で得た学びや、考え方、直面した問題などを、「一番近くの席で見られるリアルタイム型のメイキング」みたいなものです。

https://salon.jp/nishino
つのだ
つのだ

入ったタイミングとしては、コロナがくる前の2020年の1月でした。

きっかけとしては、ボイトレの友達が西野亮廣さんのことが好きでその友達とディズニーに行くから話のネタになると思って西野サロンに入った感じです。

よくある、本が好きとかもでもなく何をやっているんだろうという気持ちで入りました。

りょう
りょう

そのようなきっかけだったんですね。

実際に、入った後はどうでしたか?

つのだ
つのだ

最初西野サロンに入った時は、過去1ぐらいの刺激を受けたと思います。丁度サロンに入った時が、コロナで外に出られなくなりオンラインにシフトしました。その時、7年間家から出ていなかった自分は同じ土俵なら勝てるぞという自信がありサロンを使用して様々なチャレンジをしました。

noteを1ヶ月で1万円分をやったり、それが売れたら3万円、5万円売っていくのをやりました。他にも、サロンのイベントでチケット売るのに困っている主催者から自分でチケットを買って売ったりもしました。

つのだ
つのだ

これらが成功した要因としては、「人と多く話したこと」と「皆んなが興味のあるタイミングで興味のあるとこに集中するようにした」ことの2つであると思います。

特に人と会うことに関しては、1年間人と会うために全国巡りをしたりZOOMで300人ぐらいと話しました。確か、1日に7人ぐらいとZOOMをした時もあったと思います。

全国すごい!!
りょう
りょう

かなりのチャレンジをしてますね。

ここまでの話を聞いていると、変わりようにびっくりしてます。

実際、全国巡りなどをしてみた感想はいかがでしたか?

つのだ
つのだ

楽しかったし、新しい自分に気づけたと思います。サロンで会う人は、意識が高くなんかやってやるぞという人が多いので話が合うことが多かったからそれが嬉しかったです。自分は、後ろ向きな話に興味がなくて前向きな話に興味があったと思います。

また、全国を巡ってから仕事に対する向き合い方も変わりました。

1個1個の物事に対してちゃんと考えたり、お客様の意図もちゃんと考えて書くという風に意識しました。その結果、ありがたいことに7社8社ぐらい契約をいただいて常に仕事で手一杯のような感じになりました。

新たな挑戦「王子さんぽ」とこれから〜

りょう
りょう

かなり全国巡りというので変わったんですね。

これからやって行きたいことなどを教えてもらってもよろしいですか?

つのだ
つのだ

現在やっている、「王子さんぽ」というブログの読者を増やしたいと思ってます。

内容に関しては、王子・赤羽・田端・西ヶ原・池袋などの北東京エリアについての地域メディアをしてます。

王子さんぽ
さんぽから好きになる!グルメ・お出かけメディア
りょう
りょう

「王子さんぽ」、タイトルいいですね。

これをやったきっかけは何かあるんですか?

つのだ
つのだ

「王子さんぽ」についてやったきっかけとしては、西野亮廣エンタメ研究所に入ってから全国を回って地元を離れてから地元に愛着が生まれたというのがあります。

これからは、

りょう
りょう

良いですね!

これからが楽しみです。

では、最後に10年後なりたい自分の姿について教えてください。

つのだ
つのだ

まずは、ある程度発信力をつけて自分の身近な助けたい人を助けられる状態にできたらいいなと思っています。もう一つは、楽をしたいなって思ってます笑

楽をすると言っても、何もしない訳ではなくて次の未来を作れるような仕事の方にシフトチェンジできるぐらい現在の仕事に余裕ができたら良いなと思ってます。

りょう
りょう

角田さんのこれからが楽しみです!

今回はインタビューを受けていただきありがとうございました。

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