よく人のせいとか、環境のせいにしたりしていませんか?
・あいつがいるから自分はダメなんだ?
・コロナのせいで自分はダメだった
・日本の経済がダメだから自分もダメなんだ
果たして、本当にそうなんでしょうか?
自分は、今回千葉百華さん(以下ももさん)にインタビューをさせていただいてはっきりと違うと言い切れると思います。
今まで、本当に大変な経験をされてここまで来たももさん。
そこで、今回は「過去・現在・未来」でももさんがどのように生きてこれからどの様にしていきたいか?そこを伺ってみました!
まずは、前編として高校時代までの話を伺ってみました!
幼稚園時代〜行動的な少女
ももさん、本日はインタビューを受けてくださりありがとうございます!
早速、インタビューを始めさせていただければと思うのですが今回のテーマは
「過去」・「現在」・「未来」と伺っていきたです!
それでは、まずももさんの幼稚園時代から伺ってもよろしいですか?
よろしくお願いします!
幼稚園時代は、前提として親が3歳の時に離婚をしてお父さんとお兄ちゃん猫と暮らしていたんだ。
その時の性格は、今と似ているかもしれないけど行動的で変わっている子だったと思う。
例えば、体育の時にみんなが手をあげている時に一人だけクロスをしていたり。
遠足の時に、みんなと違うルートを歩いて米軍の人たちとYMCAを踊ったり(笑)
また、親の家庭の事情で保育園は途中で通えなくなってしまってそこからはお兄ちゃんとおばあちゃんとお父さんと毎日遊んでいました。
小学校時代〜周りとのギャップに苦しめられる
なかなか、聞いていて壮絶な人生のスタートだなと思いました。
それから、小学校に行ったと思うんですが何かその時印象的だったことはありましたか?
それでいうと、凄い悲しい出来事2つあったんだ。
1つ目に保育園にいた頃にいた友達に「遊ぼうよ」と声をかけたら、遊ぶのを断られたこと。
その理由は、他の子たちと遊ぶからと言われた。
2つ目に、学校で歯磨きを持ってくる時に自分だけ歯ブラシのコップも持っていた時にそれで、周りからめちゃくちゃ笑われてしまって。
その経験で、変に悪目立ちすると馬鹿にされる世界なんだって思った。
そうだったんですね。
では、それからは幼稚園生の時は行動的だったと思うのですが小学生ではそれが無くなった感じですか?
そうかもしれない。明るさとか行動力はいい時は出してたけど、変に目立つとかはなくなった。
理由は学校での体験もあると思うけどそのタイミングでちょうど、家庭環境も悪くなってきて例えば私が起きれなかった時に父親がおばあちゃんに「なんでももは、起きられないんだ」って八つ当たりをしたり。
そして、おばあちゃんが亡くなりお兄ちゃんが就職でいなくなって父親と2人になりその時に家じゃなく学校で居場所を作ろうと思った。
なるほど。。
話を聞いていると、ももさんはどちらでも自分は出せてなかったような思えるのですがその辺はどうだったんですか?苦しいとかはありましたか?
もちろん、苦しさもあったけどそれよりもほとんどが楽しかったね!
いじめを受けていた時期もあったけど、クラスのみんなに守られたりとか。実際に、今でも仲の良い友達はいる。
中学校時代〜
そこから、中学校時代はどうだったんですか?
中学校時代は、成績の良いギャルだった。
なんか、イメージで言うと自転車をバイクのような形にしてプーマのジャージを着て乗っていた笑
また、お父さんが家に帰ってこないことが多くなって仲の良い友達と毎日遅くまで遊んでいた。その時は、目にカラコンつけて毛虫みたいな感じだったよ笑。
なんと・・・・
因みに、その時は学校には行っていたんですか?
学校には無遅刻無欠席で行ってた。
そして、報道委員会っていうところの委員長もやってた。そこでは、企画とかも立ててたと思う。
学校も真面目に行っていて、そして委員会で企画なども立てて。めちゃくちゃ優秀ですね!
因みに、企画立ててたと言ってましたがどのような企画を実際にやったりしていたんですか?
その時やっていて印象的だったのが、朝の朝会をボイスレコーダーで取って文字起こしをしてお便りに混ぜて貰ってた。
それをした理由は、朝会での校長先生の話とかって基本的に誰も聞いてないとその時思って。でも、重要なことを話していると思ってたから文字起こしをした。
これ、全国の学校でやった方がいいと思いました・・笑
そして、今もももさんは色んな企画を立ていると思うのですがやっぱり過去から繋がっているんだなと改めて気づきました。
他には、中学校でやっていたこととかってありましたか?
あとは、小学生に対して勉強とかをボランティアで教えていたね。寺子屋っていうのでやっていたんだけど、企画自体も楽しかったね。
寺子屋とは、子供たちに文字の読み・書き、場所によってはそろばんを教える庶民の教育施設のことです。江戸はもちろん、全国の町や村にありました。
https://www.library.metro.tokyo.lg.jp/portals/0/edo/tokyo_library/gakumon/page1-1.html
これの現代版にももさんは関わっていたみたいです。
高校時代①〜先生への憧れから教師を目指す
この流れで言うと、ももさんは高校は教師とかを目指していた感じですか?
そうだね。自分を担当してくれた、数学の先生がめちゃくちゃいい人でそれも影響して先生と同じ大学に行くぞと思ってた。
だから、それに向けて勉強をしていた感じだね。
では、話の流れ的にギャル化は終了した感じですか?笑
いや、結構毎日夜遅くまでは遊んでいたかな〜。
ただ、カラコンとかは無くなってハンドバール部のキャプテン・学級委員長もやっていて凄い忙しい感じだったね。
なんと!!
キャプテンと学級委員長ってすごいですね!
こういうのって、頼まれてやるのと自分から進んでやると2択あると思うのですがももさんはどちらのタイプだったんですか?
それでいうと、ハンドボール部に関しては1年生の頃からコーチに指名を受けていてキャプテンになった感じだね。
学級委員に関しては、一番暇だと思って決めたんだ笑。
実際に、仕事は楽しくて例えば文化祭の出し物紹介の冊子の文章を考えたりとかしてたね。
なるほど。
ももさんって、今でも文章をよく書くと思うんですけどやはり文章自体を書くのがとても好きなんですかね?
それは、あるかもしれない!
当時、前略プロフィールっていうブログを作ってたりしていたぐらいだからね。
前略プロフィールについて詳しく知りたい方は、下記リンクを読んでみてください。
ちなみに、自分は知らなかったです・・・笑
すごいですね!
高校生からブログを書いていたなんて。
他にもSNSサービスをやっていたりしたんですか?
そうだね、実は中学2年からアメブロをやっていてそこから
GREE→mixi→Twitter→Facebook→Instagramとやってたね。
その時のブログとかって、どのようなものを書いていたんですか?
GREEとmixiは、Twitterのように今日何していたとかを書いていたね。というのも、高校ですごいSNSが流行っていてそこでの繋がりに使っていたね。
例えば、他校の友達が出来たり学校で話せなかった人と話せたり。
なるほど!SNSの始まりのような感じですね。
高校では、いろいろと忙しいそうなのが分かったのですが順調に大学には進めたんですか?
高校時代②〜ターニングポイント 高い壁からの大学に合格
一応は受かったけど、すごい危ない状態だったんだよね。
というのも、高校で推薦入試に受けたんだけどそれが落ちてしまって。それを、引きずって自分の中身を否定された気分になってしまって。
そして、自殺未遂をして。
本当にその時は、「何でこんな子に生まれてしまったんだろう」・「もっと仲が良くて裕福な両親のもとで生まれていればもっと自分はいい子だったのに」とか考えていた。
その後のセンター試験も、DとかE(E判定は、合格可能性20%以下)でうまくいかず。
この成績から、学校の先生や友達とかにも他の学校にした方がいいよと言われた。ただ、ある友達に相談をしたときに、「お前が行きたいところに行った方が絶対いいよ」という言葉をいただき悩んだ末に今受かった学校を選んだんだよね。
正直すごいです。
このような状態で、挑戦をして受かったのは尊敬します。
ありがとう。
それだけ、教育に対する思いもその時強かった。
例えば、教育に興味あるクラスメイトを集めてディスカッションとかしたり。
今思っても、自分の行動にびっくりする。
すごい流石の行動力ですね!
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