環境を変えたいけど、中々変えることができないそういう人はいませんか?
自分も実は、環境を変えること捨てることに躊躇するタイプです。
そういう方にこそ、今回のインタビューをぜひ読んでもらいたいです。
今回インタビューさせていただいた扇仁志さんは、大学までは日本で過ごし卒業後は韓国でテレビを出るというとんでもない環境を変化させた人です。(ちなみに、韓国への縁は特に無いみたいです。)
そんな扇さんに今回は、幼少時代から現在に至るまでインタビューをさせていただきました。
こんな方に記事を読んでもらいたいです
- なぜ、縁もない韓国に行ってテレビマンになったのか知りたい方
- 実際に、韓国に行った際に感じたこと知りたい方
- 日本人が韓国のテレビに出て感じたことを知りたい方
今回の記事の前半では、幼少時代からテレビに出るまでの話を伺いました。
扇さん、今回はよろしくお願いいたします!
今回は、幼少時代から韓国で芸能活動を始めるまでについて伺いたいと思います。(ちなみに今回のアイコンのドット絵の画像は、扇さんが作ってくれました。)
こちらこそ、よろしくお願いいたします。
周りの目を気にしながら生きてた
まずは、幼少時代について伺いたいと思います。
現在は、フリーランスで色々なことをして行動的だと思うのですが幼少時代はどうだったんですか?
保育園時代は、とてもヤンチャな子で先生に怒られるタイプの子でした。
ただ、家庭環境的に7歳・9歳離れた兄が2人いてその人たちと喧嘩しても勝てないと分かって兄の喧嘩の仲介をしていくうちに落ち着いた感じです。
なんかとても意外でした。
保育園では、どのようなことをされていたんですか?
保育園は、特殊で素足で遊ぶとか川とか山とかキャンプとか山登りに行くみたいなのがその園の方針でした。
だから、かなり外で遊ぶことが多くて例えば皆んなで棒を集めて弓矢で遊んでたりもしてました笑
他にも、高い山に登ったりとか保育園で運動神経の基礎は作れたと思っております。
かなり、優秀ですね。
確かに、全ての基礎がここにありって感じですね。
小学校に上がってからはいかがですか?
小学校で印象的だったのが、バレーボールです。
小学3年・4年生の頃かなり体弱くてクラスのガタイの良い女子にイジメられていました。
それが嫌で、両親に何か強くなりたいみたいなこと言ったらしくてバレーボール部に入りました。
入ると、2年間で身長が高いこともありエースになって結構強かった記憶があります。
やはり、幼稚園時代も優秀ですが小学校時代も優秀ですね。
内面的な面ですといかがでしょうか?
小さい頃は、どうやったら怒られないだろうっていうのを常に考えていたと思います。
例えば、僕の親戚でお爺ちゃんがいてそのお爺ちゃんに毎回怒られている同年代の親戚がいました。それをみて、絶対に怒られたくないと思い親戚の逆のことをしたりとかしてました。今思うと周りのことをよく見ていたと思います。
今の行動力を見ると、周りを気にするというのはとても意外でした。
バレー部→卓球部 環境を変えても活躍ができた
では、次に中学校時代ですがこの流れですとバレー部にそのまま入ったという感じですか?
結論から言うと、バレー部は途中でやめました。
理由としては、監督がとても変な人で質よりも量ばかりでキツすぎたからです。
例えば、練習試合で先輩が負けたら走ってボールをひたすら左右に振ったりなどです。
ただ、辞めたもののどこかの部活に入らなければいけないということで卓球部に入りました。
なんと・・・・・
確かに、そういう監督っていますよね。
でも、やめて何故卓球部に入ったのですか?
理由は、バレーボール部がキツすぎたので楽な部活に入りたいと思って選んだのが卓球部です・・笑
実際に入ってみて思ったことは、体力的には楽ですが技術的にはとても難しいと思いました。
卓球は手先のコントロールが全てで、だからボールを一学期分触ってる人と中間に入ってきた自分だと実力の差あるのでひたすら負けてました。
その時に、「途中から入って、お前弱いんだろう」みたいに言われるのが凄い悔しくて練習とかを沢山しました。
だけど一回、試合でひどい負け方をしました。
それが悔しすぎて親にどうにかできないって相談してそうしたら親が卓球台を家に買ってくれました。
家の中に、卓球台・・・・
すごいガチですね。
そこから、結果もついてきたんですか?
はい。
自分は相当やる気があって練習もいっぱいして、部活が終わったら家に帰って二時間ぐらい練習をしました。
それを一年の時にずっとやり、他のところに習いに行ったりとかもして中学一年の終わりに市の大会で優勝をしました。
扇さんの吸収力恐るべしです。
ちなみに、勉強とかはどんな感じだったんですか?
勉強は、学校の勉強はできるけど模擬試験とか全然点数とれないタイプの人間でした。なので、高校受験の際は、危うかった感じです。
ただ中学3年の最後の方に塾に行って、すごい勉強が楽しくなって最後の三か月を頑張ってなんとか高校に入学できました。
その当時、とても謎だったのが高校決まる前から僕の兄がお前大学決めろって言われてました。それで、調べるのが面倒くさかったので兄と同じ慶応にしようかなと言いました。
中々な、エピソードですね。
ちなみに、慶応となるとかなりの学力が必要だと思うのですが無事行くことはできたんですか?
はい、行くことはできました!
当時通っていた塾(東進衛星予備校)のおかげでした。
勉強が楽しくなって、更にその塾が高校も一気通貫で行けて塾の先生から「受験終わりは遊ぶから勉強したらスタートダッシュできるぞ」と言われて真面目に通いました。その結果、授業が楽勝で試験の時も受かるべくして受かると思ってました。
扇さんの、熱中力おそるべしです。
ちなみに、勉強が楽しくなったと言ってましたがきっかけってなんだったんですか?
1つ目は、先生が面白かったというのがあると思います。
東進って、ビデオで録画を見る感じでトップ講師の授業が見られるのでそれでハマりました!
2つ目は、認められたいというのが自分の中にあると思います。
勉強にハマってそれが、テストの点数にも反映されて塾・クラスの友達・親に褒められる。その関係が、気持ちよかったんだと思います。
だから、僕の原動力として全部褒めれたいがあると思います。
ダンスサークルそして韓国へ
ここから、大学の話になりますがやはり大学も卓球のサークルに入ったりしたんですか?
大学は部活として、卓球はやりませんでした。
卓球は、授業ぐらいで実はダンスをやりました!
ダンスをされていたんですね!?
なんか、モテたいとかそういう理由で始めたんですか?
たまたま、新歓の時にダンスサークルの人に「ちょっと下でダンス回の練習会をやってるから参加していないみたい」声かけられてその時一緒にいたやつと面白そうだから行ってみて一緒にダンスやったら楽しくてノリで入りました笑
そんな、理由なんですね笑
ちなみに、ここから韓国に行くと思うのですが行った理由はどんな感じですか?
韓国に関しては、サークルに韓国人の先輩がいてその人が好きになってなってお付き合いすることになったのがきっかけです。
それまでは韓国にまったくもう縁もゆかりもない感じでした。
ただ、韓国の言語にハマりそして当時の彼女と勉強したらすぐに韓国語を使えるからそれが相当なモチベーションになっていると思います。
なるほど!
当時の彼女がきっかけで、ダンスサークル繋がりだったんですね。
この後、韓国に留学をすると思うのですが韓国語にハマりすぎて留学したという感じなんですか?
そうではなくて、就活のために行ったという感じです。当時、自分は韓国語を勉強していたから韓国語を活かしたいと思っていてそこで出会ったのが外交官でした。
ただ、外交官は簡単にできるものではなく凄い難しいんですよね。
外交官を目指している同期がいて、韓国語のレベルが自分とは違いその姿を見て韓国に留学しないとらちが開かないと思ってしたという感じです。
韓国には、1年ぐらい留学でいきました。
ただ留学してる時に、楽しすぎて外交官になりたいっていう夢はなくなりただ韓国がめちゃくちゃ上手くなって帰ってきたという感じでした笑
人生の転機 先輩から一通の電話が来る
外交官は諦めて、その後は就活などはしたんですか?
はい。アニメーション会社に就職をしました。
そのため、韓国語は活かせず就職しました。
その当時は、映画を作るというのがやってみたくて宮崎駿さんみたいな映画監督になろうと心に決めてました。
ただ、就職して2日目に人生が変わる電話が来て一変しました。
知り合いの先輩から元気にしてる?って連絡がきて「韓国の知り合いで韓国の番組で日本人のキャストを探してるんだけど知り合いいない?」と言われました。
その当時日本にいましたが、番組名を聞いたらすごく有名な番組で、「それ自分受けたいです」って言いました。
えっ、、、、
凄い、ふっかるですね笑
その後は、どうされたんですか?
それで、いいよと言われて面接が通って韓国に試験行くことになりました。
ただ当時は、仕事は辞めずに通いながらオーディションのための韓国語の勉強もしてました。
その後、韓国に来てと言われ週末に韓国に飛んでテレビ局に行きインタビューを受けてそこでも大丈夫と言われました。
ただ、僕は日本に居たのでビザの関係が大きな障害で一回連絡が2〜3週間途切れたんですよ。
そこで、考えたのですが僕が韓国に行ったらなんとか出してもらえるだろうって思いました。
だから親に「オーディションでほぼ出る確定はしてるけどビザの問題だけで止まってて1回韓国で挑戦したいと」言いました。
それでやってきなみたいに親に言われました。
そのタイミングで、会社に「やめて韓国に行ってきます」と言って韓国行き、とりあえず来たから一回出してみようとなりました!
一回出てみたら、反応がくてレギュラーでやってみようとなりそこから芸能活動が始まるっていう感じです。
凄い話ですね・・・
その行く時というのは、100%テレビに出れる保証はなかったということですか?
そうですね。ただもちろん、自分の中ではありました。
まあ、上手くいく確証なんてまずないですし
ただ自分のマインドセットとして基本的にもしダメだったとしても全然マイナスじゃなくてその経験すごく面白いと思ってました。
あとやっぱり先生とか周りの人にいっぱい言われましたけど、親がちゃんとそれをサポートしてくれたのが大きいですよね
今回の前編では、韓国の芸能活動が始まるまでをインタビューさせていただきました。
個人的に、ハマると熱中してそのまま突き進むこの情熱が扇さんは凄いんだなと思いました。
後編では、韓国の芸能活動で感じたこと日本来て新たに始めたドット絵について伺います。
ぜひ、後編も楽しみにしていてください。
扇さんの韓国語について
扇さんが、16,000字超えで作った韓国語の初級を超えるための方法。
これから、韓国語を勉強したい方。今回のnoteで、韓国語に興味を持った方。
ぜひ、読んでみてください!
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